3-12 悲しい思い出***12***篤は午前の仕事を切り上げると会社の会議室に一人で篭り、携帯で電話をかけた。朝子の母、美代が出たのを確認すると、篤は話し始めた。 「お義母さん、私です」 「ああ、篤さん」彼女は疲れた様子だ。「朝子がどこにいるのか、分かりましたか?」 篤は眉間に指を置くと、軽いため息をついた。「まだです。でも必ず見つけ出して連れ戻します。その際、朝子の腹にいる赤ん坊は諦めていただきますが構いませんね」 美代は一瞬言葉につまり、ためらいがちに口を開いた。「……だけど、篤さんそれは……」 「いいですか、私の方に落ち度は全くないんです。悪いのは朝子と相手の男だ。なのになんで私が責を負わなければならないんです?! 自分と血のつながりのない子供なのに!! ……とにかく、それで構いませんね?!」 言葉を出せないでいる美代に、篤は追い討ちをかけるように言った。 「もしご了承いただけないのでしたら、私はいちひとを連れて朝子と離婚してもかまいませんよ。もちろん、いちひとを以後一切、朝子とあなた方には会わせない」 美代は叫んだ「そんな……そんな言い方はあんまりでしょう?! 確かにあなたに落ち度はないかもしれません。でも、私たちが了解するとかしないより、朝子の気持ちはどうなんですか?! 私は、あの子の意思を知りたいです。あの子がいいならそれでかまいません、でもあの子はきっと……」 篤はイライラして怒鳴った。「朝子は大事な一人息子を置いて出て行った。これがどういうことかわかりますか?! 彼女は普段なら絶対にそんなことをする女じゃありません。つまり今、朝子は普通の精神状態ではないんですよ! それもこれもみんな腹にいる赤ん坊と、雨宮有芯のせいなんです! あの男の子供なんか…………!!」 そこまで言うと、篤は一度言葉を切り、深いため息をついた。 「とにかく、朝子は自分で何かを決めたりできる精神状態ではないんです。だから私の判断で腹の子は始末します」 「だけど……!!」 美代の言葉を遮り、篤は強い口調で言った。「こうするしかないんですよ。私だってできれば小さな命を踏みにじったりしたくなかった。……ですからこのさい、あなたと朝子の悲しい思い出は忘れてください」 美代がまだ何か言おうとしていたが、篤は電話を切った。 呆然と受話器を置く祖母に、いちひとが声をかけた。 「おばあちゃん、お電話誰だった? ママ?!」 「……パパだったよ」 「パパ?! 僕、パパに会いたいなぁ~」 そう言い駄々をこねるいちひとの頭を撫で、彼女は言った。 「パパはお仕事が忙しいのよ。ママのことだって探さなくちゃならないし」 ……あんな人だけど、いっちゃん、あなたにとってはたった一人の大好きなパパなのよね……。 美代は昼寝のための布団を敷くと、いちひとを寝かしつけながら思っていた。 今後一切会わせないとか言いながら、いっちゃんのことは私たちに任せきりじゃないの……。朝子、せめて出て行ったりする前に、どうして何も相談してくれなかったの?! 美代がふと気付くと、いちひとがぱっちり目を開けてこちらを見ていた。 「お目目をつぶって寝ないと駄目でしょう?」 美代が言うと、いちひとはぽつりと、しかしはっきり言った。 「ねぇ、ママは死んじゃうの?」 「……え?」 「シホみたいに死んじゃうの?」 「……シホ?」 美代が言葉に詰まっていると、いちひとは目を瞑った。そして、間もなく安らかな寝息が聞こえてきた。 美代はそれを聞きながらいちひとの頭を撫で、微笑んだ。この髪質……小さいころの朝子そっくり。 そして、彼女はふと呟いた。 「悲しい思い出………か」 13へ ジャンル別一覧
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